日本の国の祝祭日の中で、仏教的慣習にもとづいて制定されたものは、春分の日と秋分の日の2日だけですが、この両日を中心とした7日間が“春の彼岸”と“秋の彼岸”です。一般的にこれら両彼岸はお墓参りと結びつけて考えられており、恐らくこの彼岸の期間中は一年のうちで一番多くの人がご先祖さまのお墓参りをする、といっても過言ではないかもしれません。
お彼岸にはできるだけ家族そろってお墓参りをしましょう。お参りに特別の作法はありません。お墓をきれいに洗い、周囲も掃除して花や線香をたむけ、お菓子などもお供えします。そして合掌礼拝の前に水桶からたっぷりと水をすくい、お墓の上からかけ ます。水をかけるのもお布施の一つなのです。
最初に彼岸法要(讃仏会)が行なわれたのは今から約1200年前のことで、諸国にあった国分寺の僧侶が春と秋の2回、中日を挟んで前後3日間の計7日間にわたり仏を讃えお経をあげたと伝えらえています。
彼岸という言い方は「到彼岸」を略したもの。これはインドで使われている言葉のひとつサンスクリット語の「パーラミター」(波羅蜜多)を訳した言葉で、文字通り彼岸へ到達するという意味です。彼岸とは悟りの世界を意味し、迷いや苦悩に満ちたこちら側の岸(此岸)に対して、あちら側の岸(彼岸)、つまり極楽浄土のことを推しています。では、どうしたら極楽浄土の岸へ渡れるのでしょうか?
仏教には六波羅蜜の教えというのがあります。 1.【布施】他人へ施しをすること 2.【持戒】戒を守り、反省すること 3.【忍辱】不平不満を言わず耐え忍ぶこと
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4.【精進】精進努力すること 5.【禅定】心を安定させること 6.【智慧】真実を見る智慧を働かせること |
こうした徳目は本来なら毎日心がけるべきなのですが、日頃は忙しくてなかなか実行できないのではないでしょうか。そこで、せめて春と秋、年に2回くらいは実践しようというのが、そもそものお彼岸法要の意味でした。
「ぼたもち」と「おはぎ」は、お彼岸のお供えにはかかせないものです。両方とも、蒸した餅米とアンコの同じ素材でつくられる食べ物ですが、季節の花になぞらえて、春の彼岸にお供えするのがぼたもちで、秋にお供えする場合はおはぎと言います。季節感も一緒に味わいながらぼたもちやおはぎをいただきましょう。
お盆は、正式には盂蘭盆会(うらぼんえ)と言います。これはサンスクリット語の「ウラバンナ」に由来するもので、(旧暦)7月15日を父母やご先祖さまに報恩感謝をささげ、供養をつむ重要な日として伝えられ、わが国では、斉明天皇の3年(657)に、はじめてお盆の行事が行なわれたとされています。
日本各地で行なわれるお盆の行事は、各地の風習などが加わったり、宗派による違いなどによってさまざまですが、一般的にご先祖さまの霊が帰ってくると考えられています(浄土真宗では霊魂が帰って来るとは考えません)。日本のお盆は祖先の霊と一緒に過ごす期間なのです。
多くの地方ではご先祖さまの霊を迎える7月13日(※)の朝に「精霊棚」をつくります。精霊棚は、「盆棚」とも言われ、位牌を安置し、お供えをする棚です。茄子で作った牛や胡瓜の馬が供えてあるのをよく見かけますが、これは、ご先祖さまの霊が牛に荷を引かせ、馬に乗って行き来するという言い伝えによるものです。
※東京では7月のお盆が一般的ですが、他の地方では8月15日を中心に、ひと月おくれの盆行事をするのがもっとも盛んなようです。これは、明治になって新暦が採用されると、7月15日では、当時国民の8割を占めていた農家の人たちにとって、もっとも忙しい時期と重なってしまい、都合が悪かったからだと言わています。
7月13日のタ方に門前でおがら(皮を剥いだ麻の茎)を焚いてご先祖さまの霊を迎えることを「迎え火」といい、16日の夕方におがらを焚くことを「送り火」といいます。これはご先祖さまの霊が迷わず行き来するための道しるべになると言われています。しかし、最近では都心の住宅事情もあって実際に火を焚くことができない場合が多いため、提灯に明りを点して飾りつけ、迎え火、送り火とするようになりました。
迎え火の火を提灯に移し、お盆の期間中飾りつける風習は江戸時代にはじまったものです。特に初盆を迎える家には、親戚や子ども、親しかった友人たちが故人の精霊を迎え、慰める供養の意味も含めて、「盆提灯」を贈る風習があります。いつものお盆よりもお飾りやお供えも盛大にします。飾られる提灯の種類は多種多様で地域によってかなりの違いがあります。飾り方は仏間に左右対にします。現在では伝統的なデザインを踏襲しながらも、現代的な雰囲気を持つデザインの提灯が増えてきています。